こんにちはタラスキンボンカースです。
今日は、私たちが暮らしている小さな海辺の集落をご案内しましょう。
私たちが暮らしているのは、伊豆半島の南の端っこにある小さな海辺の集落です。
世帯数はおよそ80。
伊豆半島は、数百年前に現在の太平洋沖からプレートの動きに伴って日本列島に押し込まれた海底火山群が隆起したもので、プレートとしてはフィリピン海プレートの上に乗っかっています。
そんな成り立ちから、海岸線に平地は少なく海から山がせり立つ地形となっています。
つまり、伊豆半島の東沿岸を走る国道135号線と西沿岸を走る136号線の工事は崖に道路を作るようなもので困難を極め、ことに私たちが暮らしている伊豆半島の南端に道路が到達したのは半島の中では最も遅い1972年(昭和47年)のこと。
それまでは山道を歩くか、船で近隣の地区との行き来をしていたのだそう。
これらの環境が、この集落の暮らしぶりを今につなげ続けてきたのに違いありません。
波打ち際程度にしか平地はないので、人々の暮らしはほぼ、こんな階段の連続の中で営まれています。
わずかな平地に肩を寄せ合うように家々が並ぶ。
家々の間を縫う路地は車の通れる広さはなく、まるで迷路のようです。
立て掛けられた手押し車は日常の荷物の運搬用に使われるもので、吊るされた赤い網はイセエビ漁に使用するもの。
海辺の暮らしでは、船はまるで自家用車のようでもあるし、海の幸はまさに生活の糧となっています。
それはまるで、都市のビル群に人々が働くのと何ら変わらず、ここでは波の向こうに人々が仕事を持っているのです。
丁寧に干されているイセエビ漁の網。
網の仕掛けは、漁をする人がそれぞれ自分で作るのだそう。
浮かぶロープや沈むロープ、オモリやウキなどが細かに組み合わせられていました。
こうして仕事の道具を丁寧にそろえ、丁寧に扱う。
路地を抜けると、その先は碧い入り江です。
入り江の波止場。
これは、いつも私たちが家のベランダから見ることのできる景色。
ベランダからは、くぐもったエンジン音を伴って波止場を出入りする船の姿を見ることができます。
再び集落の港へ戻り、これは漁船の上の景色。
漁師の手で複雑に張られたロープや、それぞれの用途をもった金具の類。
ウキを付けたロープの輪っか。
このロープの輪っかは、港で最もよく見ることのできるロープの取り扱い方。
船を係留したり何かにひっかけたりする際にさまざまなサイズのこの輪っかを使います。
こんな、あらゆる暮らしの道具には、くまなく人の手が添えられています。
それは、ここで暮らす人たちの力強い生活力が添えられているようでもあります。
ここには、昔から変わらないのであろう丁寧で力強い暮らしぶりが今も残っているのです。
漁港から集落を振り返る。
家々の背後にせり立つ緑の山の中に、トンガリ屋根の私たちの家が見えます。
日本各地の風土、暮らしぶりが均一化してゆく昨今、ここに見ることのできる丁寧で力強い暮らしぶりはとても貴重なものなのです。