2017/04/05

暮らしというもの

こんにちはタラスキンボンカースです。

庭にノビルが生えてきた。
生えてきたというより、生えてたのが太くなってきた。

抜いて食べると春の味がした。

春と言えば4月は年度初めなわけですが、先日4月3日(月)には集落の『総会』が行われました。

平日にもかかわらず、私たちが暮らしている60世帯ほどの集落では、こうした『総会』は出席必須の集まりとなっている。

午後4時から6時までみっちりと行われる『総会』では、「集落の街灯代がいくらだった」とか「お宮の手すり工事がいくらだった」など集落における1年間の収支報告や、「どこどこの崖が崩れそうだから直したほうが良いのでは」とか「どこどこの松の木が腐って倒れそうだから切った方がいいのでは」などといった非常に細かい内容が話し合われる。

ひとつひとつの内容が、挙手などによる多数決で片付いてゆく。

都市部では、”だれか”が知らぬ間にやってくれていたことを、ここでは自分たちが動いて出費して解決している。

こういうことが『暮らし』というものなのだなぁ・・・。